(2000)
Directed by Stephen Daldry.
With Jamie Bell, Jean Heywood, Jamie Draven.
心が温まる、でもどこかにそれだけでは終われない映画。
ビリーは生きる道を見つけたけれども、あの街の生活は簡単には変わらない。
「貧困の連鎖」
中流階級との差がはっきりと別れる住宅街。壁に囲われた小さな箱型の家が並ぶ通り。少年のビリーにとって高く見える壁は大人にも高い壁を象徴するのだろう。行き止まりまでの壁に囲まれた通りを狂ったように踊るビリー。それでも、前に進んでも壁の道は終わらずに、やがて行き止まりにたどり着く。そこから始まるクリスマスのシーンは、上手い切り替え。デッドエンドから抜け出すきっかけ。
ビリーの住む家の前にいつも立っている女の子の両親の無関心さとこれから与えられるチャンスの少なさを表している。それは両親だけを責められる問題ではない。
ビリーは自分の才能を見いだせる人に偶然出会った。そうでなければ、楽しいとも思えないボクシングを続けて、あの街での”普通”の生活を続けて行くことになった。貧困は、物質的な欠如だけでなく、機会の欠如でもある。バレーアカデミーで出会った男の子を殴ったビリーに、その切実さが表れている。
「炭坑と労働者」
炭坑で働いてきた人たちの犠牲がなければ、発展もなかった。それでも需要がなくなれば簡単に切り捨てられる。働くことによる犠牲がどんなに多くても、彼らの生活がその上に成り立ってしまっているから、炭坑で働く権利を求める。本当なら、働かない権利を求めるべき劣悪な環境なのに。さらに、炭坑の閉鎖は街の存続にも関わる。あの街に全ての炭坑労働者の再就職口は見つからないということは、彼らは街から出て行くしかない。移動の自由は、必ずしも自由ではない。
ストで戦う彼らの劣悪な状況は、人々を殺気立たせ、犯罪につながる。街が二分しても、どちらも自分の大切な人のための選択。ビリーの父親は、苦しい生活の中からも50pをボクシング代に出していたのは自分のエゴではなくて息子への愛情だった。だからこそ、その才能を認めることができた。だからこそ、自分の信念を裏切ってそれまで散々軽蔑してきた選択をする。その選択はが両方のグループにお互い言い分があることを表している。息子にチャンスを与えようとした彼とビリーの兄が泣きながら抱き合うシーン。
「中流階級の崩壊」
ビリーにバレーを教える先生も、家族に問題を抱え、満ち足りている様に見える生活は本当は崩壊寸前にある。娘が全てを知っていて知らないふりをしているように、仮面の生活が見える。
「ジェンダー」
男はサッカー、ボクシング、レスリングと完璧なグループ分けがされる社会の様に描かれているけれど、意外にあっさりビリーがバレーをすることをみんなが受け入れていた点は、現実はもっともっと厳しいんだろうな。バレーのグループの女の子たちの反感も描かれていなかったし、何より一人でも友達のサポートは大きかったと思う。